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![]() 種村季弘『ヴォルプスヴェーデふたたび』(筑摩書房1980)。こんなに面白い美術批評(こういう言い方も気恥ずかしいが)を本棚に眠らせておいたのは、本を買った当時は、いよいよ意を決して詩に向き合おうとしていたころで、急激に読書量が衰えた頃だったから。 北ドイツ、ブレーメンの北東に位置する町、ヴォルプスヴェーゼ。19世紀末に生まれた芸術家のコロニーをめぐって、ハインリッヒ・フォーゲラーやリルケ、それにパウラ・モーターゾーン=ベッカーを軸に語られる美術批評だが、種村さんが、そこに滞在した滞在記と重ねられているところがこの書物の妙。こんな美術批評のスタイルは、もはや望むべくもない。とにかく冒頭の入り方に魅了された。 「私はその何の奇もない麦畑の眺望が好きだった。ところどころに向日葵の群生した麦畑の真ん中に、置き忘れられたように、赤屋根に白亜の壁の家が一軒建っている。そこまで来ると私は少年時代の武蔵野の記憶に引き戻される。赤屋根の家が、私の子供の頃にはまだみかけた大正名残の文化住宅の面影を偲ばせるからだ。すると今見ている風景の全体が、いつか見たものの透明な内密感のうちに親しげに閉ざされてゆく。低地ドイツの小さな田園の一隅は、いつしか時間の彼方の武蔵野の追憶のなかに嵌め込まれている。ここでなら、麦藁帽子を被った少年が向日葵の群生の間からひょっこりと姿を現わしても不思議はなさそうだ。」9p. 冒頭に、種村の過ごした武蔵野の風景や時間が語られるのには意味がある。このドイツの「ユーゲント・シュティール(アール・ヌーボー)」の実相をほぐしていく過程で、種村はたえず、それを日本の大正期の芸術の実相とも重ねていくスタンスをとっているからだ。フォーゲラーを日本に伝えたのは「白樺」だったこと。また、この芸術家のコロニーの運動を、武者小路実篤の「新しき村」や、有島武郎の北海道での農場開放などとのアナロジーとして捉える視点。また、次のような指摘にも胸を突かれた。 「要するに、世紀初頭の反時代的精神は表裏一体の二つの顔を持っていた。一方が田園に隠遁すれば、もう一方は地下の舞台でこれ見よがしに演技をひけらかす。内向と外向の二つの顔が田園と都市を分割統治したのである。とどのつまりは、故郷を失った同じ根無草のボヘミヤンもしくはヴァガボンドの両様の生き方と言って差支えないだろう。一人のボヘミヤンが定住すればコロニーの住人となり、放浪を続ければ都市ではキャバレー詩人として現象する。とすれば、一人の人間が交互に両方の生き方の間を振子のように往復したとしても一向に不思議ではない。」として 「高原のコロニー作家堀辰雄の「美しい村」とレビュー小説「浅草紅団」の川端康成は天国と地獄の相補関係を形作る。「田園の憂鬱」と「墨東奇譚」も、立原道造のフォーゲラーに捧げた「真冬のかたみに・・」を含む「優しき歌」と高見順の「如何なる星の下に」も、照らし会う双生児の一対と言えようか」246p いやそれだけではない。この低地ドイツで繰り広げられたユーゲントシュティールの芸術家コロニー運動と、日本でのアナロジーとして、「そして、その全体が、朝鮮や台湾の植民地と、あるいは人工国家満州国と虚実の凹凸関係で対応していたと考えれば、私たちの二、三○年代の文化状況が何故ヨーロッパ・ユーゲントシュティールの動向と見合っているかの大よその見当がつくはずである。」 この胸のすくような「類化性能」(折口信夫)の見立てには舌を巻く。 もちろん、ぼくが強くその絵に惹かれているパウラ・モーターゾーン=ベッカーのこと、そしてこのコロニーをおとずれた若きリルケのことも。美術批評というよりも、種村さんがもつその語りやスタイルの魅力に引き込まれた一冊だった。 こんな文学的な美術批評はもう望むべくもないのだろうか。
by loggia52
| 2023-04-26 01:17
| 書物
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