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吉本直子《鼓動の庭》(2012年)。兵庫県立美術館のギャラリー棟の部屋の壁面いっぱいに、人が着用した白い古着をブロック状に固めたものが隙間なく整然と並べられている。 着替えをするとき、ごく偶に蛇の脱皮や蝉の抜け殻のことを思う時がある。脱いだシャツや、もう用済みになった衣服のことをあまり思い入れをもって考えたことがないのは、むしろそこに自分の生命の残滓のいくらかが付着しているということに気づいているからだ。日常のなかではそれ以上の思い入れはあえて断ち切られているが、立ち止まって考えると、着古した衣服には、確かに自分の体臭や着ぐせや、付けた汚れの痕などがないまぜになった自らの履歴が編み込まれている。それらを処分するとき、大切にしていた人形を無造作に捨てられないのと同じように。しかし、こうやって、白いシャツだけに限定して、汚れを洗い落とし、フリーズしたように固められると、生命の履歴が、ある抽象性を帯びたものに見える。この抽象性、普遍性、言い換えれば透明な無名性(アノニム)こそが、この立体の生命なのだと思う。 ![]() 個の時間や個性や体臭などは洗い流され、生命の痕跡としての息遣いが抽出されている。それらは抽象性を帯びた埋葬をも引き受けている。埋葬――死へと誘われるイメージを。ひとつひとつのシャツはもとはそれぞれ所有者の私性を持っているが、それらの私性が埋葬され、アノニムな生命の記憶の静かな量感の詩情として蘇る。私たちが、蝉の抜け殻に魅入ってしまうのは、むしろ抜け殻のほうにこそ、生命の痕跡がはっきりと現れるものではないのかという思いがあるからだ。私たちも見えない——あるいは気づかない脱皮を繰り返しながら生きていることに思い当たるのである。 イスラエルとパレスチナとの戦禍、ウクライナの惨状。私たちは報道を通して、毎日刻々と伝えられる死者の数が、この「鼓動の庭」の全面に敷き詰められたシャツのブロックをおのずと連想してしまう。死者の止まった息と命がフリーズされてそこにある。コロナの災禍も思い出される。それらは作品成立のずっと後である。芸術が時代とは無縁でないのはわかっているが、芸術は時代をこうやって映しうる。同時に、わたしたちはこの作品にたんに死のアナロジーを見るだけではない。《鼓動の庭》にも《白の棺》にも、生命や息遣いのつながりを感じないだろうか。祈りと言ってもいい。 吉本さんの作品の美質は、それらが、闇の深さをくぐり抜けたある種の向日的な明るさ、それは祈りの光といっても、希望といってもいいし、連帯といってもいいような未知な光を希求してやまないところにあるような気がする。アノニムな生命の記憶がフリーズされた衣服の無数の塊が放散している死と生のせめぎ合いを超えた不思議な静かさと明るさ。生命の記憶の痕跡ですら、こうして集まれば、時代を映すことができるのだ。
by loggia52
| 2023-10-29 21:11
| 美術
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