|
カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2024年 04月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
![]() 大野ロベルト『紀貫之』を読了。副題には「文学と文化の底流を求めて」とあるように、紀貫之論であると同時に、王朝文化の中核もしくは総体として和歌というものをとらえ、その文化とはどのようなものだったかを考察していく、実にスリリングな一冊。600頁近い大作だが、長さを感じさせないどころか、文章もわかりやすく、しかも深く紀貫之というテクストを縦横に論じていて、作者の並々ならぬ意欲と論じるよろこびが読み手に伝わってくる。 何よりも、和歌の読み方の新鮮さ。 ロラン・バルトの「作者の死」や、クリステヴァの「間テクスト性」を、和歌を読む方法として取り入れ、例えば『古今集』の和歌の一首を、その前後の和歌の配列や、『古今集』に先行する和歌群(先行テクスト)や伝記的もしくは歴史的な事象をもとりこんで、そこに読み込まれた世界を解いていく。読んでいると、絡み合った糸がほどけていくような、あるいはほどけ合った糸が再びもつれていくようなめくるめく和歌の世界を体現することができる。 「間テクスト性」に関連した本書の一節を引用する。 「クリステヴァにとって、テクストとは複雑に反響する雑多な《声》の集合体であった。つまり「間テクスト性」という見方は、漠然とした形であれ、それまで命脈を保ってきた純然たる「オリジナリティ」の概念を消滅させ、あらゆるテクストを、その他のあらゆるテクストの間にある漂流物へと変貌させたのである。(略)その意味では『古今集』は単純に言って、1111首の和歌が漂流する言葉の海である。」(19-20p) しかし、実はこのような和歌の詠み方は、「間テクスト性」などというポスト構造主義をもちださなくても、すでに丸谷才一や安東次男が、「後鳥羽院」(筑摩書房1973年)や「芭蕉七部集評釈」(集英社1973年)などを通して教えられた読み方とさして変わらない。 とは言え、『新古今集』や芭蕉の時代ではなく、すでに遙かに先行する紀貫之が作り上げた『古今集』やその仮名序という和歌の詩学が、後の勅撰集や家集を通してカノン化していく過程を、間テクスト性の読みを通して縦横に論じ、また精緻に分析していく力業には驚かされる。 現代短歌や俳句においてはどうなのだろうか。現代短歌や俳句を、間テクスト性を重ねて読み解く試みも面白いのではないかということも思った。
by loggia52
| 2023-11-26 16:23
| 書物
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||