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![]() 鳥の仮剥製を初めて見たのは、兵庫県の「人と自然の博物館」で、小林啓介氏のコレクションの一部が展示されていた時だった。紡錘形に横たえられた鳥の屍体の形の美しさ。留まり木に留まらせたり、羽を広げて滑空している様を模した剥製に比べると、同じ剥製といってもまるきり違う。そうしたポーズをとった剥製は稚戯に類すると思われた。仮剥製は、あくまでも屍体である。モノである。モノの収納のためのコンパクトな形状。首の長い鳥などは、首を折りまげて胴部にぴたりとつけた形で収まっている。そういう即物的な屍体の扱いに、ぼくはとても興味がある。むしろそれゆえに、死物の持つしずかさが際だつ。その鳥の屍体の紡錘形が、飛ぶという鳥の理想的な姿態を削ぎ落とした裸形であったという発見。羽はすっぽりとその紡錘形の中に畳まれている。しかもその脚には、標本の徴として、学名や捕獲時の記録などが記された紙片が結わえられている。鳥という動物から徹底的に空の記憶を拭い去るための処理をほどこしているかのようにさえ思われる。 脚色のない、しかしそのことが完璧な脚色となっている。ことばにたずさわる者として、「ことばの仮剥製」というイメージに惹かれる。詩というものは、あるいは、鳥の仮剥製のようなかたちで差し出すべきものではないだろうかと。とまり木に留まらせたり、羽を広げるのは読む人の仕事に属するだろう。 話はそれるけれど、実は、ロッジア2号に掲載した「シンノウサン」について、とまり木に留まらせたり、羽を広げるところまでやるべきではないという意味の批評をもらった。くだくだしい説明的な言い回しやほのめかしが、作品の音楽性を台無しにしているという評である。これが、ぼくが最も頭を痛めているところで、いわゆる「レシタティーヴォ」をどう書くかということだ。語りであって、しかも音楽でもあるというすがたを目指しているのだが。「アリア」を歌うなら、それなりの歌は歌えるという自負はあるのだが、アリアをひきたてるレシタティーヴォはまだ模索中だ。
by loggia52
| 2008-05-29 01:13
| 書物
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