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もう一つ。二人の師弟関係である。山口茂吉は斎藤茂吉の薫陶を受けた。文字通り薫陶を受けた。彼の歌には師、斎藤茂吉の「手」が入っている。彼が作歌したものを取捨し、手直ししている。写生による実相観入に障るものが彼の歌に現れた場合、まずもって摘まれる。師の茂吉の掌から出ることを、彼が考えていたとは思えない。それを師、茂吉がどう思っていたかということが、微妙な問題として残る。
大正15年に斎藤茂吉の選を受け、『赤土』刊行は昭和16年である。16年にしてようやく歌集の上梓がかなうというのは、今の短歌の結社においてはどうなのだろうか。歌集の題名から長文にわたる序文まで、師は最善の配慮と世話を怠らない。『赤土』は師の『赤光』の「赤」を含んでいるのが象徴的である。 しかし、茂吉の庇護のもとに作歌することは必ずしも歌人として幸福なことだとは言えない。少なくとも、彼の歌を読む限り、歌人としての山口茂吉は師に遠く及ばない。というよりも、それを望まなかったのだと思う。健康上の問題もあっただろう。それよりも、斎藤茂吉の黒子として生きることに無上のよろこびを感じていたように思える。師、茂吉の原稿を、だれよりも真っ先に読むことの幸福を師の追悼号で語っているが、それは本音だろう。師と同じ「茂吉」という名を持ち、処女歌集に師の処女歌集「赤光」の「赤」の一字を入れることのうちに、山口茂吉が、師斎藤茂吉の終生の弟子として生きることの表明を見ることができるだろう。奇しくも、結核性の病できわどい生死の境にあった彼を助けたのは、斎藤茂吉であった。重篤な弟子の様態を見て、入院を強くすすめ、特効薬ストレプトマイシンの投与を指示する、そのための費用まで茂吉は工面している。そして、師の死後に、彼は師によって与えられた余生を、斎藤茂吉全集の編纂にささげ、それを完成させたあとにその一生を終えている。まさにこの師弟はぴたりと呼吸を合わせて生涯の帳尻をやりくりしあったのである。
by loggia52
| 2008-07-01 22:54
| 書物
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