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![]() ![]() 彼の作品では、「羊の歌」「続羊の歌」、「日本文学史序説」、「雑種文化」などが強く印象に残っているが、ほかに「幻想薔薇都市」といった小説も好きだった。それから、マチネポエティックの詩。彼の詩集「薔薇譜」の普及版は1976年に湯川書房から出ている(写真上が箱、下が表紙)。その中から「さくら横ちょう」。「マチネポエティック詩集」の一編で、脚韻を踏んでいる。中田喜直が曲をつけたのでも知られている。 さくら横ちょう 加藤周一 春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう 想出す 恋の昨日(きのう) 君はもうここにいないと ああ いつも 花の女王 ほほえんだ夢のふるさと 春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう 会い見るの時はなかろう 「その後どう」「しばらくねえ」と 言ったってはじまらないと 心得て花でも見よう 春の宵 さくらが咲くと 花ばかり さくら横ちょう この詩については、「羊の歌」にそのいきさつを書いている。 『八幡宮から学校までの道には、両側に桜が植えられていた。その桜は老木で、春には素晴らしい花をつけた。桜横町とよばれたその道には、住宅の間にまじって、いくつかの商店もあり、そこで子供たちは、鉛筆や雑記帳を買い、学校の早く終った時には、戯れながら暇をつぶしていた。(略)桜横町には、男の子も、女の子も、文房具屋のおかみさんも、自転車で通るそば屋の小僧も、郵便配達もいたのである。学校に近かったから、道玄坂などとはちがって、半ば校庭の延長のようでもあり、しかし校庭とはちがって、町の生活ともつながっていた。私は二つの世界が交り、子供と大人が同居し、未知なるものが身近かなるものに適度の刺戟をあたえるその桜横町のひとときを好んでいた。』 その横町の住宅に、同じ小学校に通う娘がいた。「大柄で、華かで、私にはかぎりなく美しいと思われたが」一度も言葉を交わしたことがなかった。「女王のようにいつも崇拝者たちを身の廻りにあつめているその娘を、私は遠くから眺め」「二人きりになることができたらどんなによいだろうか、と空想していた。」 その桜横町を、彼は「いくさの最中に、何度か」想い出した。それを、「十六世紀フランスに流行したロンデルの韻を借りて」作ったのがこの作品である。 中田喜直は、この他に、「マチネポエティック詩集」から福永武彦「火の鳥」、原條あき子「髪」、中村真一郎「真昼の乙女たち」の作品に曲を付けている。(原條あき子は池澤夏樹の母、この人の全詩集が書肆山田から出ている。) この「さくら横ちょう」は、波多野睦美さんも歌っていて、「美しい日本のうた」というアルバムに入っている。野平一郎のピアノ伴奏。
by loggia52
| 2008-12-11 23:53
| 書物
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Comments(8)
初めまして。加藤周一の"さくら横ちょう"について調べていて、こちらのブログにたどり着きました。
知的で素敵な記事がたくさんありましたので、これからも寄らせて頂きます。よろしくお願い致します。
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kannochieさま。お返事遅れました。ブログに興味をもっていただいてありがとうございます。3日ほど、国東半島や別府鉄輪温泉に行っておりました。そのあたりのたんぽぽはほとんどが白花たんぽぽでした。
はじめまして。「さくら横ちょう」の素敵な紹介を拝読しました。『羊の歌』のその箇所は、読んだのですが忘れていました。
ところで、波多野さんのCDに別宮貞雄作曲の「さくら横ちょう」も入っていて、作曲家・別宮の名を不朽にしている傑作だと思っていますが、いかがでしょうか。
別宮貞夫の「さくら横丁」は、知的で繊細で、香気ただよう名品ですね。表現にも意欲的で、マチネポエティックの芸術的な意欲をしっかり受けとめようというところがあって、ぼくは好きです。
別宮貞雄です。名前間違えました。
お返事ありがとうございました。「知的で繊細で、香気ただよう」、まさにそうですね。出だしの「春」を高音で延ばすところから、美しい別世界に連れて行かれるように感じられます。
これは片思いの歌だったのですか。
以前声楽で教わり、歌ったのですが、歌詞に「逢見る(「性交すること」を意味する)」が入っているので、同棲していた恋人たちか、別れた夫婦の片方が 「まぁ今さら逢ったところで、元のさやに戻ることはなかろうし、挨拶以外に話すことも無くなったけれど、君がいなくなった場所に、あの頃と変わらず桜だけは咲いている」と回想を巡らせている歌(要は元は体の関係があった恋人同士の歌) なのかと解釈して歌っていました。それをこんなに典雅に表現するとは、随分大人びた歌だなぁと。 百人一首にも「逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」というものがありますが、逢うも見るも、肉体関係を表わす言葉であるはずです。
コメントありがとうございます。加藤周一という知性のかたまりのような人のほんとうに柔らかな部分を覗き見るような詩ですね。
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