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![]() 前衛詩運動である「コンクリート・ポエトリー」といっても、資料によれば、新国の試みは、そうした国際的な活動に影響されて始めたのではなく、村野四郎、西脇順三郎らのモダニズムの影響を受けて詩を書いていた彼が、その行き詰まりを感じて、カミングズやミュージック・コンクレートなどへの関心を深めながら試行錯誤ののちに切り開いた独自の方法だった。 「わたしが現在取り組んでいるコンクリート・ポエトリィの仕事は、その出発点にメタファーの止揚があった。そこに言語そのものに注目する動機も生まれ、メタファーよりもアナロジーに詩の本質をみようとする姿勢が生じたのである。その意味ではメタファーは私の詩の揺籃である。」(「メタファーのこと」1970年) 特にぼくが印象に残ったのは、「雨」や「「闇」、「川または州」といった漢字の形象を扱ったグリッド状の作品群である。新国は、詩を考えるのに、詩の内容ではなく、詩を書きつける「漢字(文字)」そのものにまで下りて考える。その漢字を「音」と「形」と「意味」に還元し、それを解体しながら今まで見えなかった文字の想像的な世界を現出させようと試みる。「アナロジーに詩の本質をみようとする姿勢」というのは、言い換えればそういうことだろう。 「雨」は最下段の中央のグリッドにゴシック体の「雨」を置き、それ以外のすべてのグリッドに雨の構成要素である「ヽ」をびっしり並べた作品だが、作品を見る者は、「雨」という漢字の意味性を拭われることはないが、同時に解体されて並べられた造形に、雨の意味性とは別に視覚的な感興を覚える。それは漢字(文字)の持つ根源的な世界に触れるような感興である。それは明らかにデザインとはちがう。 こうした新国の「具体詩」もしくは「視覚詩」の限界は当然あるわけであるが、彼の試みがもたらす意味は大きい。例えば、詩の表記の問題がある。作品のことばを漢字にするか、仮名にするか、漢字にする場合でも、どの漢字を採るか、行分けをどうするか、文字のポイントをどうするか、詩集の判型をどうするかといった、詩作品の視覚的な要素も詩の本質にかかわるものであることを示唆しているからである。 もちろん、もう一つの「音」という詩の要素にも新国は意識的だった。それについてはここでは触れないが、こうした詩作品を造形する「文字」の形象的な力や音韻的な作用が、ともにことば《詩》の根源的な要素であるという考えについて言えば、すぐぼくは那珂太郎氏の「音楽」を思い浮かべる。新国と那珂との類縁性については現代詩手帖の2月号で野村喜和夫氏が書いているが、今回の展覧会や「0音」の作品を見ていて、「音楽」の中の「繭」や「〈毛〉のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス」を思い出すのは容易である。しかし、那珂太郎は、文字(ことば=詩)の根源を「虚無」に沈めてあくまで「虚無」を詩の坩堝として詩を書いた。新国は、文字(ことば)の根源をあくまでその形象と音の中に求めた。彼が詩の領域から一歩踏み出していったのは確かである。 ほかにも思い浮かべる詩人がいる。例えば関口涼子の詩集の、文字の連なりを窓のような矩形に詰める方法、吉増剛造の独特の書記法などにも思いが飛ぶ。こうしたタイポグラフィの要素や余白のもつ表現力は、ぼくたちが考える以上に詩の本質にかかわるものであるという思いを強くした。 図録も兼ねた「新国誠一works 1952-1977」という本の造型の心にくい意匠もふくめて、今回の展覧会はおもしろかった。
by loggia52
| 2009-03-27 22:00
| 詩
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