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さて「古代人と夢」の全体についてはひとまずおくとして、古代人の夢を考える前提として、「魂」をあつかった部分にまずひかれた。たとえばこんなところ。 「魂とは何かは、日本のこととしても時代によって同じでないので一筋には行かないのだが、比較的確実に言える一つのことは、それが心とは質の違うものだという点である。(中略)心は身体器官としての内蔵とかかわり、それらの器官の内具する知情意のはたらきを意味した。(中略)それに対し、魂は内蔵に局在するのではなく、容器としての身体の深部に棲み込み、そして人間の生命を支える神話的あるいは形而上的な、つまり非物質的な何ものかである。しかもそれは睡眠中とか恍惚や失神の状態とかには身体から分離しうるとされていたようで、この点『魂消(げ)る』といういいかたには深い歴史が刻まれている。」 というように、心が身体とかかわる器官であるのに対して、魂は身体から分離した「神話的」「形而上的」「非物質的な何ものか」であるとのべ、身体の死とともに心はなくなるが、魂は身体の死においても、必ずしも滅びないとして次のように続ける。 「こうして魂の方が身体より永生きする。それだけでなく、実は魂の方が身体より古いのだ。生存中も魂が身体から分離しうるのは、それが外から身体に入ってきてそこに宿ったものであるからで、個人の歴史について言えば、命名とか成年式とかがあらたな魂を附与したり更新したりする大事な時期にあたっていた。したがって魂は、自己のなかに棲み込み、その生命を支える独特な力であると同時に、自己にとっては他者でもあったことになる。私が魂を持つ(「持つ」に傍点)のではなく、私は魂の保管所なのである。魂のこの他者性に、ここでは特に注目したい。」 (つづく)
by loggia52
| 2009-06-12 22:45
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