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![]() いわゆる書物論であるが、書物を身体のイメージと結びつけることによって、電子メディアの浸食にさらされている今の書物のありようを捉えようとしている。電子メディアによる電子テクストを端から拒否して、紙とインクの書物を死守しようというのではない。書物の身体性というものを書物の本質ととらえ、ボルヘスやジャベス、ベンヤミン、グリッサンの営為を丁寧に読み込みながらそれを明らかにしていく。 一冊の書物の中に世界を封じ込めることを夢見たマラルメから話が始まり、マラルメの夢を反転させて、書物が「世界という、多様な運動体の流れへと参入する入り口」となるようなヴィジョンを提示するものへと変貌していくさまを論じていく。 特にぼくが興味深く読んだのは後半第七章「書物のゆらめき」あたりから。ここに最も具体的な書物の身体性が語られる。さらにその後に続くベンヤミンの独特の書物論、とりわけ第12章の「字習い積み木箱」を巡る読解は、息を詰めて読むことを要求されるだろう。そして最後のグリッサンの「世界の本」に触れた終章は、おそらくこのグリッサンの書物論がまずあって、今福はこの講義を思い立ったのではないかと思われるほど、強い共感をもって、語られ、これからの書物に寄せるヴィジョン提示している。 興味尽きない本である。 ▲
by loggia52
| 2009-07-30 22:18
| 書物
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![]() 写真は、いつものツマグロヒョウモン。わが家のブッドレアにやってくる常連客である。 書き忘れていたことだが、「現代詩手帖」に載った「さねのこのみ」の評を、谷内修三氏が、2回にわたってブログに書いてくださった。いつも、注目して読み込んでいただいている。ぼく自身もずいぶんと、考えさせられる。 さて、少し時間ができたので、溜めていた本を少し読むつもり。今ぼくのテーブルにつんである本の幾つか。 ●「身体としての書物」 今福龍太 ●「歳月の鉛」 四方田犬彦 ●「ベンヤミン『言語一般および人間の言語について』を読む」 細見和之 ●「ベンヤミン」 H.ケイギル他 ●「光の曼荼羅」 安藤礼二 ●「遊ぶ日本」 高橋睦郎 みんな読みさしたままに積んである。さて、どれから読んだものやら。 ▲
by loggia52
| 2009-07-28 21:31
| 日録
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![]() 絵金まつりの翌日、雨にたたられて、一人になって、さてどこへとやってきたのが、横倉山。安徳天皇が、壇ノ浦で入水せず、実は四国に逃げ延びて、横倉山の山中に隠れ住み、二十三歳で入滅したという伝説がある。その墓地が横倉山の山中にある。修験道の山で、山容も、どこからでも一目でわかるような特徴がある。雨も降ってきて、とても鬱蒼とした山道を歩き回れるような雰囲気ではなかった。人気もなくどこか異様な気配が充ちていた。仕方なく、四国の山並みを写して、ふもとの博物館に入る。ちょうど「土佐の貝」の展覧会をやっていた。これがなかなかおもしろかった。横倉山のあたりは地質学的にもおもしろいところらしく、日本最古の化石や4億年以上も前の珊瑚や三葉虫の化石などが出るという。また、牧野富太郎もこの山に入り、いくつかの新種を発見している。そのフィールドワークの様子も紹介されている。 ![]() そこから南下して、横浪へ。 夕刻、宇佐の太平洋を望むお家にお世話になって、友人たちと一泊。「海援隊」を飲みながら、久礼の漁港で仕入れたというカツオの刺身とタタキなどを肴に、あれやこれやの話。ひさしぶりにゆっくりと話し込んで、深更に及ぶ。時計を見ると2時である。この夜は、友人が用意してきたブラックライトを使っての夜間採集を試みたが、どういうわけか虫がやってこなかった。それでも、楽しい高知行きだった。 カツオの刺身とタタキはやはり絶品。毎日食べたが、飽きない。ちりめんじゃこの生であるドロメのほのかな苦さも、じゃこてんの風味も栗焼酎もいい・・・。いうまでもなく、それらの味わいも、知音ともいうべき友や、初めて出会った人たちの”心持ち”に添えるものにすぎないのだが。 宇佐のお世話になったお家のことや友人たちとの話は、またいつか別の機会に記す時もあるだろう。これをここで書き始めると、また熱が入りそうだから今回はここまで。 ▲
by loggia52
| 2009-07-26 23:07
| 日録
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![]() 夕刻から、商店街の軒先に、絵金の芝居絵屏風が23点、道に面して並べられるのだが、それを百匁蝋燭の灯りの揺らめくなかで見るというのが趣向である。夏の日は暮れるのがおそいので、7時になっても明るい。そのころから、提灯のゆれる商店街の人通りが増して、夏祭りの雰囲気。ぶらりと友人たちとそぞろ歩く。いつのまにか、屏風の前にともされた蝋燭のあかりが際立って、いよいよ絵金の芝居絵のおどろおどろしい世界が浮かび上がる。 ![]() 絵金の絵を見ていると、横尾忠則がかつて描いた状況劇場などのポスター(まさに芝居絵)を思い出すのはぼくだけではないだろう。ともに、一度見たら忘れられない強烈な印象を持つ作品だが、色々な劇の要素をコラージュ風に盛り込む手法は、絵金の異時同図方的な絵柄にも重なる。ただ、二人の違いは、ともにケレン味のある絵柄ながら、横尾のほうは、そのケレン味を方法として用いているが、絵金のケレンは、方法ではなく現実としてリアルに描くことそのものに奉仕している。横尾がスタイルとしてグロテスクやエロティシズムを巧みにあやつり、初めから現実と断ち切られた時空を描こうとしているのに比べて、絵金のほうは、血の色や顔の表情は、あくまで現実にこだわるうちに、現実を突き抜けてしまった際どさを持っている。横尾のポスターは表面をめくろうと思えばめくれるが、絵金の場合はそうはいかない。あまりにリアルな血を表現しようとしているからだ。 これは土佐という風土の生んだ性質もかかわっているかもしれない。 そこから、友人たちと、紀州や土佐の芸術家の特徴的な共通する性向について、おもしろい話になったのだが、これはまた別の機会に。 ![]() ▲
by loggia52
| 2009-07-24 21:47
| 美術
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![]() ![]() 高知に行ってきた。 雨に降られて、虫採りのほうは思うようにいかなかったが、それでも収穫はあった。 高知自動車道を大豊ICで下りて、山に分け入る。四国の山は、点々と数軒の集落が山の腹に見える風景が印象に残る。これほどまでに山を越えてきたのに、行けども、行けども集落が絶えない。時間の流れが、明らかに違う。この山あいの時間と東京や大阪に流れている時間とは完全に絶たれているという印象。その時間の中にぼくがいることの不思議。 まだ雨の降らない曇天、たまたま、針葉樹と様々な広葉樹などの伐採木が積まれている小さな土場に出くわす。クビアカトラやウスイロトラのせわしく走り回る中に、きれいなタマムシを見つける。マスダクホロシタマムシ。おそらくは日本のタマムシの中でも美麗な種の一つ。色の変異もあって、この日数頭見かけたが、青みの深いもの、オレンジの濃いものなど3頭を採集。もう2種、シラホシナガタマムシ、クロナガタマムシ。シラホシナガタマムシの方も、白い点がポチリ、ポチリと整列しているのがなんとも清楚で、翅の色合いもいい。 ![]() マスダクロホシタマムシ ![]() カミキリでは、さきほどのクビアカトラ、ウスイロトラ。このウスイロトラがやけに大きいのにびっくり。そのほかに、オオヨツスジハナカミキリを2頭採集。 この日は、夕刻から、高知市のとなりの赤岡町で行われる「絵金まつり」に友人と行くことになっていた。これについては、また次に。 ▲
by loggia52
| 2009-07-22 21:14
| 森・虫
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![]() この「鳩をめぐるStanza」を收めた詩集「採訪記」について、もう一つ、うれしかったエピソードを。 武満徹が惜しくもなくなった年の「芸術新潮」1996年6月号に、彼の御代田の書斎の本棚の写真が掲載されていた。その本棚に、「採訪記」があったのである。むろん、よく見ないと気づかない。「きみの『採訪記』が武満の本棚にあったよ。」と教えてくれたのが、柄澤さんだったように記憶する。すぐに本屋で確かめると、確かに紛うかたなき「採訪記」。そう言えば、武満徹に「採訪記」を送っていて、わざわざ礼状をいただいていたのを思い出して(「採訪記」が1988年だから、もう当時でも8年前になる)、探したら次のような葉書。 「前略。詩集『採訪記』たまわり、こころから御礼申しあげます。言葉の厳しい彫琢に胸うたれます。ありがとうございました。」これだけの短い文面だったが、社交辞令を差し引いても、武満徹の手で「採訪記」が開かれ、いくつかの作品は読まれたのだ、と思うだけで、胸がいっぱいになった。「芸術新潮」のその写真を掲げたいのだが、それは法に触れる行為らしいので控える。 さて、一連のここ数日間の、湯川さんの周辺、「容器」については、これで終わり。読み返して、ちょっとぼくの独断でものを言っているのを反省。 7月も、もう残すところわずか。虫採りのいちばん稼ぎ時なのに、いろいろあって、一日も但馬に遠征していない。明日から、しばらく夏休み。このブログも5日ほどお休みさせていただく。 ▲
by loggia52
| 2009-07-17 23:21
| 書物
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![]() Ⅱ号が、非在の都市を協同して作りあげたこと、詩と版画を織り込みながら、一つの書物的な都市の空間をつくってきたことを思うと、Ⅲ号は、「詩と版画のテクスチュール」にはなっていない。4人が、他の同人のイメージとかかわることなく、自分の作品を仕上げて同じ容器に収めるというわけだから。『容器』を葬りさる方法が、この方法だった。ただし、Ⅲができたときに、終刊がきまっていたわけではない。Ⅳをどのようにするかという話題もでたことを記憶しているから。 ![]() 柄澤は「Capricornus」、という木口木版をおさめた。これは、ジョセフ・コーネルの「肖像」といってもいい。北川は標本箱の中に自分のライフマスク(?)を入れた「自画像」。高柳は、用紙を綴じずに、カード形式にして、一枚一枚に、架空の書物の断片を捏造するという、いかにも彼らしい意匠を収めた「誌葉集」を。この作品はのちに「アダムズ兄弟商会カタログ第23集」(書肆山田)として刊行される。この詩集もぼくの好きな詩集で、高柳的韜晦世界のおもしろさを随所に感じることができる。 ![]() ![]() ![]() こうやって、「容器」は終刊したが、それぞれ「容器」とかかわったことが、次の仕事に影響を与えていく。 柄澤は、1987年あたりから1990年代前半に、「リーブル・オブジェ」という、書物のイメージをオブジェとして作品化した、魅惑的な書物のかたちを多く制作するようになる。北川もまた、銅版画からオブジェへ、彼独特の作品世界を広げ、深化を遂げていく。こうした試みは、はやり、ことばとイメージの容器としての書物という、『容器』の制作を通して、生まれることになった展開ではないかと思う。彼らのオブジェが、箱の中に自分の宇宙なりイメージなりを封じ込めたボックス・アートを指向していることが、それを証しているだろう。書物を、イメージの「容器」(箱)として強く意識する契機となったのが、この同人誌の成果ではなかったかとぼくは考えている。柄澤さんが、コーネルを「容器」に収めたのは、やはり意識的なことだった。 最後に、柄澤齊の「容器Ⅱ」についての発言の一部を引用しておこう。 「言葉に絵が導かれ、絵に言葉が触発されるスリリングな制作過程は、私達に知への新たな開示をもたらしてくれて倦むことがない。精選された紙質と印刷技術、念入りに仕上げられた造本の上で個々の仕事が一体となる時、詩は眼で見る版画であり、版画は眼で読む詩でもある。なぜもっと多くの版画家や詩人達が自主的にこの形式に取り組まないのか私には不思議でならないのだ。」(柄澤齊「版画を読む」『版画芸術』14巻第53号(1986年) ▲
by loggia52
| 2009-07-16 22:58
| 書物
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![]() ![]() 目次の「広場」~「地誌」までがぼくの執筆で、高柳の執筆部分が、都市の俯瞰的な叙述であるのに対して、ぼくの書いた部分は、「ダルレス・・」と呼びかける一人称で、路地裏の秘密めいて濃密で退廃的、官能的な都市の病巣を浮かび上がらせるのを意図した。 柄澤の木口木版は目次の「劇場」と「鳥」。北川の版画は「群衆」と「寺院」。それぞれのページに作品が挿入されている。 このように、『容器』Ⅱ号で、ぼくたちが、この同人誌で企図した「詩と版画のテクスチュール」というスタイルを、最も具現化することができた。 ![]() 本の体裁は、そのパンフレットにあるように、総革装で、用紙は西欧の手漉きの紙を本文に使っている。表紙の4隅に同人4人のイニシャルが彫られている。綴じるための革の紐の意匠もおもしろい。なおパンフレットの図柄は、本の見返しの図柄を利用してある。パンフレットの裏側が、この図。 ![]() ▲
by loggia52
| 2009-07-15 00:18
| 書物
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![]() ![]() 『容器』については、今までにもこの場で何度か、触れたことがあるが、もう少し書いておこうと思う。 「容器」は、柄澤齊(木口木版画)、北川健次(銅版画)、高柳誠(詩)、それにぼくの4人が同人で、湯川書房が制作。創刊号は1984年。2号は1985年、第3号は1987年。3号で終刊。(装幀・構成は柄澤齊)。 4人はともに同世代であり、版画家のほうは、書物や文学に、詩人のほうは版画にそれぞれ強い共感を抱いていたから、4人で何かやろうという方向へはすぐに道筋がついた。 「容器」という名前はだれが付けたのだったかもう思い出せないが、詩と版画の「容(い)れもの」というほどの意味だったと思うけれど、ぼくは「妖気」という語感もそこに感じていた。ともあれ、そうやって話はまとまって、あとは4人の夢のような構想を実現にまで導いていくれる制作者が必要だった。「やりましょう」と言ってくれる人である。 いや、実は話は逆で、湯川成一という人がいたからこそ、4人で夢のような同人誌の構想が立てられたのだと思う。湯川書房を前提に、「容器」は構想されたのだ。 ![]() これは、「容器Ⅰ」のパンフレット。この2作が、版画家の作品。柄澤さんの木口木版は、ほぼ葉書大のサイズで、当時、次々と「肖像シリーズ」の傑作を生み出していた頃である。それこそ「妖気」に充ちた力作。1992年に栃木県立美術館で開かれた「本の宇宙展~詩想をはこぶ容器」展のチケットにこの作品がデザインされている。 ![]() その当時、高柳は名古屋、柄澤は茅ヶ崎、北川は横浜、ぼくは兵庫と、遠距離のつきあいだったが、頻繁にそれぞれの同人の自宅に集まって「容器」を煮詰めていった。そうやってできたプランを湯川さんと相談しながら、装幀をはじめ紙の選択やら何やらいっさいを手がけたのは、柄澤さんである。柄澤さんによれば、湯川さんは、制作費などについてはいっさい、注文をつけなかったという。 ここに掲げたのは、現代詩手帖(1985年1月号)に載せた『容器』の紹介である。この年刊誌のだいたいの意図は読み取っていただけると思う。 ところで、この原稿の依頼が、どういう経緯であったのか全く思い出せない。「詩誌・生放送」というシリーズの一回目で、当時の編集長は樋口良澄氏で、樋口さんとは、この後の6月に高柳とともにお会いしている。詩人と版画家の同人誌という、今までにない動きとして、初回に掲げるべき詩誌として注目していただいたのではないかと推測する。ただ、文末に「限定百部、二万三千円、湯川書房」とあるのを見て、詩の同人誌としては、ちょっと戸惑われたかも知れない。 ![]() ▲
by loggia52
| 2009-07-13 22:31
| 書物
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![]() ![]() これは、湯川さんからの葉書。1984年3月の消印。 湯川書房から上梓した「胚珠譚』(1983年)がH氏賞の候補になったが、賞をとれなかったことに、ぼくが落胆しているのではないかという心遣い。 実は、次の詩集はその5年後に『採訪記』となって実現する。このときもH氏賞の候補になったが、賞はいただけなかった。賞の候補にあがったという知らせを現代詩人会よりも早く、電話で知らせていただいたのも湯川さんだった。選考委員が『採訪記』を持っていないというので、版元の湯川さんのところへ連絡が入ったらしい。ただ、かえすがえすも、不肖の息子というのか、湯川さんに恩返しができなかった。 しかし、ここで幾度も書いたが、この2冊は、いわゆる限定本ではない、普通の詩集であるが、湯川さんの工夫や創意や遊びが随所に見える。こういう2冊の詩集を持つことができたのは、なににもかえがたい幸せである。 「胚種譚」の表紙のことについては一度触れたが、「採訪記」の活版2色刷り、赤と黒の布の張り合わせの手間の大変さを話していただいた。ちなみに、表紙の右隅の図柄も湯川さんがこしらえたもの。 この2冊は、まだぼくの手元にお分けする部数があるので、もしご希望ならご連絡を。 (tokiji●gmail.co.jp ) ●は@にかえてメールで。 ▲
by loggia52
| 2009-07-12 22:18
| 書物
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