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![]() 大阪駅前第三ビルの十二階の小会議室を会場にしていたのだが、なかなかたどり着けず、いきなりカフカ的迷宮の出来に出鼻をくじかれたが、宗近さんの講義は、濃密でアクチュアルな内容だった。 その一つは、氏の関心を引き付けている柄谷行人についての最近の思想的営為に関するもの。二つ目は、前回の会合のときに、岩成達也さんの詩集に関連して話題になったミシェル・アンリの『受肉』をめぐるお話。さらには、岩成達也さんの詩集『(いま/ここ)で』を中心に、岩成詩学における「受肉」と言葉(詩)についての見解をうかがった。(内容については、ここに記すには濃密すぎるので割愛) さて、講義のあとは丸ビル地下のいつものイタリア料理店に場を移して酒宴に。冒頭の写真。右から倉本、宗近、瀬尾、水田恭平(酒宴から参加)、瀧、時里、季村。 ![]() それからユンガーに関してはぼくには忘れがたい文章の記憶がある。もう30年以上も前のことで、その文章そのものも見つからないので、頭にある内容だけを記すと、「人は生誕以前は完璧な球体のなかで育まれ、生誕と同時に、その球体は一挙に砕け、世界全体にそれらの破片は撒き散らされる。人の一生は世界に飛び散った自らの球体の破片を拾い集めることにほかならない-」というような内容だった。これがユンガーの言葉なのかどうか確証はないのだが、彼には博物学や昆虫についての思い出を記した書物もあるので、おそらくそのようなところからでてきた言葉だと思うのだが。 ▲
by loggia52
| 2016-05-30 00:30
| 日録
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![]() 思ったとおり、ふたつとも顔を見せてくれた。 ![]() ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-26 21:54
| 森・虫
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![]() 雪深いところだけに、ブナの樹影もねじれたり、歪んだり、不規則な枝振りの巨木が目立つ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-24 21:39
| 森・虫
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![]() このシーズンのチョウは、黒系のアゲハがいちばん美しいのだが、その山道のあたりもちょうどモンキアゲハの通り道になっているらしく、納戸かすれ違うが、なかなかとまってくれないので、写真がごれない。しばらく、イボタノキの花の近くで待っていると、モンキアゲハのかわりに、アオスジアゲハがきた。敏捷な動きをそのまま翅のかたちに象ったようなすがた。じっと静止している時はたぶんない。花の蜜を吸うときでも、たえず翅を振るわせている。それにしても、この独特の青緑の帯の色には眼をうばわれる。 ![]() ![]() 下の写真。順に、ツマグロヒョウモン、キアゲハ、ヒメウラナミジャノメ。花はカタバミだろう。 ![]() ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-19 23:54
| field/播磨
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![]() ![]() 昔から訪れているこの高原にこんな所があるとは知らなかった。実はこのクリンソウの群落には皮肉なからくりがあった。むろん、昔からクリンソウは森の湿地に生えていたのだが、例のシカの食害によって、下草がほとんど食べられてしまい、ここ数年で、クリンソウの生息環境がずいぶんよくなったというのである。 つまり、シカは、クリンソウに含まれる有毒物質を嫌って、それを食べないのだ。そのせいで、クリンソウのじゃまになる下草がなくなり、クリンソウが勢力を広げた結果の群落の回復だというのである。おまけにこの派手な色の花である。いやがうえにも目立つ。 そういえば、クリンソウ以外は、林床はほとんど草がない。これもまた不自然。 ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-16 15:30
| 森・虫
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![]() ひとつは小池光の『思川の岸辺』(角川書店)、もう一つは岩成達也の新しい詩集『森へ』(思潮社)。『思い川・・』の方は、それが出た時から、いつもどこかへ出かけるときに持ち歩いて、読んでいる。心に残る歌がいくつもあって、いい歌集だと思う。思いながら、短歌という詩型の、何かきわどい魅惑に彩られた印象がある。小池光その人に沿って言えば、茂吉的なものと、啄木的なものと、-両者は極めて相いれないスタイルだが、それを小池光は実践している。この歌集から伝わってくる短歌の現在には、とても興味がある。これについては、また詳しく書くつもり。 ![]() 一方の岩成達也の『森へ』。こちらもまた、現代詩という詩型の極北を思わずにはいられない問題を、実に魅惑的にふくんだ詩集。詩という柵をとっぱらって、文字通りことばの《森へ》分け入ることこそが《詩》にほかならないという感慨を抱かせる詩集。 この二つの詩歌集に共通するのは、ともに最愛の妻を喪ったことが、自らの《詩》に変容をもたらしたことを自覚した歌人、詩人の歌集であり、詩集だということ。そこには、歌人、詩人という個性を越えた、短歌・詩という詩型の問題を孕む重要な手がかりがひそんでいるような気がしている。 今は、そういうぼんやりとした予感でしかないが、一方は《川》、一方は《森》というのも暗示的だ。短歌は「時間」、現代詩は「空間」と割り切るのは乱暴だが、言葉を川の流れの相のなかでとらえること、言葉を森という混沌と凝縮の相においてとらえることと。興味深い対照と共鳴を際立たせるすぐれた試みだと、ひとまずは言っておきたい。 ▲
by loggia52
| 2016-05-14 01:07
| 森・虫
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![]() ブナ林には、樹高の低い他の樹木もたくさん見られる。このムシカリ(オオカメノキ)もその一つ。今が花のシーズン。この樹の葉は秋になると息を飲むような鮮やかな赤に染まる。白い花といえば、もうシーズンは終わりだが、下の写真のタムシバも、ブナ林のそこここに見られる。 ![]() ![]() ![]() おしまいは、やはりブナの新緑のシャワーを。 ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-10 23:21
| 森・虫
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![]() ![]() 毎年、この見頃を見極めるのに苦労する。ほとんどこんな状態のなかで、かろうじてまだ花の咲いているエリアを見つけて写真を撮る。 ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-09 22:35
| 森・虫
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![]() 今年はギフチョウもヤマシャクヤクも一週間ほど早いペース。いつもなら連休中は、林道に残雪が残っているために、小ヅッコの登山口まで車で行けないのに、今年は残雪は跡形もない。案の定、ブナの新芽はすっかり開ききっていて、目当てのコルリクワガタはまったくだめ。かろうじて、葉裏ごしのシルエットの写真を一枚撮っただけに終わった。それが下の写真。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-07 23:51
| 森・虫
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![]() 淡路人形座をあとに、沼島に渡る。 沼島へは、福良からタマネギ畑のなかを車で土生(はぶ)港まで行き、そこから船で10分ほど。紀伊水道に浮かぶ島だが、島の南側は太平洋の波がストレートにやってくる。淡路島の鱧といえば、ここ。磯釣りの名所でもある。 ![]() 沼島の港から島の真ん中あたりを縦断して太平洋に面した荒々しい海岸部にでると、『上立神岩(かみたてがみいわ)』という高さ30mの奇岩がそびえている。『和漢三才図絵』には、《竜宮の表門》として紹介されているらしい。 ![]() 帰りに、淡路島の西海岸に出て、夕陽が沈むのを眺めた。ちょうど船の往来もあり、天気もよいので、なかなか胸にしみる夕景であった。 おしまいは明石海峡大橋。いつもは播磨の小高い山からの遠景に親しんでいる橋だが、やはり大きい。長い。 ![]() ▲
by loggia52
| 2016-05-04 23:38
| その他の旅の記録
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