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詩人の岩成達也さんがお亡くなりになった。 最後にお目に掛かったのは2019年4月7日。その日は、ほぼ年に2回ほど岩成さんを囲んで、夕食をとりながら歓談する日だった。メンバーは、季村敏夫、瀧克則、倉本修、水田恭平、細見和之とぼく。ブログにはこんなことを書いている。 「宝塚の中山寺駅近くのイタリア料理店で、岩成達也さんを囲んで、いつもの会があった。今回は、瀬尾育生、宗近真一郎両氏の東京組はおやすみ。細見和之さんが久しぶりに参加。季村敏夫さんの個人誌『河口からⅤ』の各作品についての話題、岩成さんの近況など。何をおいても、岩成さんが、殊のほかお元気で、バリトンの張りのある声。原稿も意欲的にお書きになっているようで、このメンバーに会うことをずいぶん楽しみになさっている様子がなによりもうれしい。」 写真を見てもおわかりのように、この会はいつも岩成さんが話題の中心で、今関心をもっておられること、自らの作品のこと、メンバーの新しい詩集や仕事についてのことなど、とにかく好奇心が旺盛で、この頃は耳が聞こえにくくて苦労しておられたが、それも苦にせず、明晰でディテールの描写ゆたかなお話をなさる。お身体のことで心配なようすだとうかがっていたからよけいに、「ああ、安心したね」とお別れしたあとメンバーで岩成さんのお元気な姿に胸をなで下ろしたのだったが。 しかし、この後も、季村さんが岩成さんと連絡を取り合い、お目に掛かることはできなかったが、なおも執筆を続けておられて、それらは季村さんの個人誌『河口から』の7号(2021年4月)、8号(2022年9月)に掲載されている。ちなみに、8号は瀬尾育生さんとの往復書簡の第一信と銘打たれて、末尾に「4月5日(2022年)(つづく)」となっている。 岩成さんを囲んでの歓談についてはもう10年以上前から季村さんや倉本さんらが声をかけて続けてきたもので、いろいろと思い出があるので、またどこかで続きを書くつもり。 ここではもう一つ。2017年7月14日の会のもようを綴ったブログを掲げておきます。https://loggia52.exblog.jp/24875529/ 左から瀧克則、水田恭平、瀬尾育生、その前がぼく、岩成達也、宗近真一郎、季村敏夫、倉本修。2017年12月9日の会。宝塚。
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by loggia52
| 2022-12-15 21:42
| 詩
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今日は第33回富田砕花賞の授賞式が芦屋市立図書館であった。小林坩堝さんの『小松川叙景』が受賞作。配られた冊子に平成2年生まれとある。平成生まれの受賞者がとうとう現れた。そう言えば、富田砕花賞も平成2年生まれだった。(写真 右は小林坩堝さん、左、いとうまい芦屋市長)
受賞作の『小松川叙景』については、すでにこのブログで少し触れたが、今日の彼女の受賞スピーチと朗読を聴いて、ますますこの詩人のこれからに期待が持てると確信した。 スピーチでは、この詩集がどうやってできたか、そこに籠めた思いはなにかを実に明快に語っていらっしゃって、周到に準備されて出来た詩集であることがわかった。書物としての詩集の造型にも、版元と丁寧な打ち合わせと相談を重ねていらっしゃることにも感心した。そして、朗読も、オーソドックスなスタイルながら、おのずと言葉のリズムに配慮されて作られた詩であることがわかるほどに心地よいものだった。 受賞式のあと、JR芦屋駅の中華料理店で、小林坩堝さんと版元の「共和国」の下平尾直さんを迎えて、季村敏夫さん、神田さよさん、江口節さん、中西弘貴さん、神尾和寿さんらとささやかなランチ会食で歓談。ここでも興味深いお話をうかがうことができた。 #
by loggia52
| 2022-11-18 00:27
| 詩
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《風ぐるま》のコンサートに魅かれるのはなぜだろう。ほかのコンサートでは決して味わうことのできない《風ぐるま》のプログラムの楽しさ。フランス・バロックのラモー、英国のパーセル、それに20世紀のピアソラ。ヒンデミット、それにバッハ。他のコンサートではありえないこの選曲が、終わってみれば、《風ぐるま》の音楽としてごくあたりまえに織り上げられた音のtextureに見える不思議。それに《風ぐるま》の定番になった観のあるマレの『膀胱結石手術図》。もちろん、高橋悠治の作曲による作品の初演が必ず入る。そのようなプログラから見えてくる音楽観や歴史観。さらに言えば、大きな物語ではなく、小さな物語や挿話を拾い上げて、自分たちの音楽を織り上げていく、そういう手仕事のような営みが《風ぐるま》の魅力ではないか。これは音楽についての手ざわり。耳ではなく手ざわり。いわゆる歴史的な西欧の音楽の大きな伽藍からすこし時間をずらして、そこにできた時間の隙間に、自分たちの手や声や口の届くホールをひととき開くように。 コンサートが果てて、楽屋にお邪魔した。悠治さんもお元気。波多野さん、栃尾さんも頼もしいかぎり。《風ぐるま》をこれからも聴き続けたい。 《風ぐるま》では、2枚目のアルバムで《鳥のカタコト 島のコトカタ》のテクストを書いた。モノオペラ《納戸の夢》と、バラッド集《鳥のカタコト 島のコトカタ》。忘れがたいアルバム。まだCDは買えます。 あるいは、ぼくの手元にも少しありますから、興味のある方はどうぞご連絡ください。 tokiji@gmail.com #
by loggia52
| 2022-10-22 00:53
| 音楽
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この国の都市文明の歪み、捩れた表象として小松川というトポスが浮かび上がる。その複層する土地のトポスの「いま、ここ」の虚構性や非在性をみごとに捉えている詩集だ。重要なのはその小松川というトポスへの熱を帯びた詩人の眼差し(言葉)。小松川が体現している「いま、ここ」のひずみやねじれが、それを言語化する詩人の身体性に同期するところに詩情、すなわち叙景詩としての抒情がある。選考の討議中は、折にふれて『でらしね』の世界を思い返していた。あの詩集も紛れもない都市の叙景詩だった。しかし、『小松川叙景』は、『でらしね』の豊穣な、どこかノスタルジアに浸された歴史的時間とは際立って意識的な一線を引いている。あえて歴史的なパースペクティブを切り捨てたところに、小林坩堝のこの詩集への決意のようなものを感じた。『でらしね』の世界の豊饒をかなぐりすてても、足のないハトと向き合うことのほうを選んだ。小林坩堝は自らの身体性に賭けようとしている。その言葉の潔さに打たれた。 近頃は、このような硬質な(あえて言えば難解な)詩情に接することがずいぶんと少なくなった。耳に優しい、過不足のない言葉の調和的な音楽にうっとりとしていた耳には、ことさらに痛い、不協和音の音楽ではあった。 この詩集を、選考委員の3人全員が選んだのも、昨今の詩の「いまここ」に対する異議申したとしての意図が含まれていることを添えておきたい。 https://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/saika.html #
by loggia52
| 2022-10-16 00:05
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当日、出来たての《百年のわたくし》の冊子も配られた。下がその表紙と目次。出演者の作品のほかにも、この詩祭の常連である藤原安紀子さんやぱくきょんみさんの作品も載っていて、30ページに及ぶ、そそられる冊子だ。
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by loggia52
| 2022-10-03 20:30
| 詩
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