カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
季村敏夫さんの詩集「日々の、すみか」(書肆山田1996年刊)を読み返す。 そのなかから、「草の身」の全編を掲げる。 草の実 いきなり世界が告げられた。おおいなるもの。「いまだあらざりしもの」から。 だがどう呼べばよいのか。この贈りものを。言葉へ、人へ、そして輝きへ、道し るべを示さねばならなかった。 息をひそめる私達は、わずかばかりの光の分量を、おおいなるものにおもいなし、 そっとつぶやくことから始めようとしていた。「しかしまだこれだけではなかっ た」これで済む道理がなかった。私達をこのまま「いまだあらざりしもの」は 「ただで置く訳が」なかった。 惨禍に対し、言葉を巡らすことの欺瞞を云々できるうちはまだよい。言葉を操る ことへの最初の躓きをくぐり、やがて言葉でしか表せないことにふるえ、さらに 某月某日、何度もゆすられ、以後、自分の外への階梯を求め始めた私達に、こう して届けられた風の光を、どううけとめればよいのか。 この見え過ぎた手口。たとえば旅への言説。めまい。さまよい。ずれる。そんな 言葉の羅列など、もうどうでもよいではないか。そのようにつぶやける崩壊の局 面に私達は立ちあってきた。今しがた書きためていたノートの類いまで破り棄て たことを、なつかしくおもいながら。 おお、さらに。どのような事後の禍に見舞われていくのか。春まだき、おそろし いゆさぶりを授かり、そのゆれのことを、何としてでも伝えたいという欲求が、 これほど強く、こんなにも確かに胸をゆするとは。今はそのことに素直に従おう として息つく。 「人間の日常の営み、すべての習慣が」突然その意味を失い「人間生活のすべて の根底が疑わしいものに」なった日。「これがどうして人間の住む所でなければ ならぬのか、判らなく」なった目々のすみかを踏み迷ったすえ、こうして迎えた おだやかな一日に、ふと佇み、まるで老人のように来しかたを眺める私達の眼に、 あろうことか砂嵐が襲う幻影とて舞うのだが、わなわなと膝崩れ、足元の石くれ に混じってしまうことすら起こりうるだろう。 ならば、委ねるのじゃ。何に何故にと問わず、そのまま向こうに。あのかがよい へ向かうがよい。もはや「文字の霊」がふりほどけた限り、われら「ゆ」の字に なって、風と風とのすきまに。草の身をくねらせ、ひたすら委ねるのじゃ。 そんな胸のつぶやきを私達は聴き逃すまい。「どこから来て、どこへ」答えを求 める問いは禁じられ封じられる。日付すら忘れ、戻りつつ逆らう。そのことの遵 守のなかに、死者に対する忠誠が試されているとすれば、道のべの風は、どんな 輝きでほほえむのであろうか。 #
by loggia52
| 2010-01-17 15:15
| 未分類
|
Comments(0)
薬師寺の駐車場に着いたのが夕刻の4時を過ぎていた。これでは、もう唐招提寺のほうはあきらめなければならない。 薬師寺は、現在東塔が修理中で、足場が組まれてすっぽりと覆いがかけられている。西塔は、1981年に再建されたもの。薬師寺の中で、創建当時からの建物は東塔のみだった。この西塔をはじめ、大講堂などが再建され、白鳳伽藍の復元がはかられたわけだが、この鮮やかな丹色の建物群を眺めていると、どうも落ち着かない。 唐招提寺金堂 #
by loggia52
| 2010-01-16 09:48
| 奈良
|
Comments(1)
この詩集は、背の部分が、糸で縢って束ねられた折丁が剥き出しになっている。あえて未完成のふうをよそおう。 この本の作りも岸田の意図的な意匠だ。最初、詩集を開けるたびに、ギーギーと微かに本が呻くのだ。本が呼吸している。もちろんそこまで彼は計算していなかっただろうが、この本の呼吸しているようなたたずまいと同様に、詩集全体に、詩人の息づかいが、はっきりと伝わってくるのが、この詩集の魅力だ。 この小ぶりの未完の体裁とざらついた紙質と小さめの活字。この、つましくも見える、ストイックな詩集の編み方に、ぼくは、むしろ、彼のことばに対する(詩に対する)激しい思い入れを強く感じる。 例えば、冒頭にある覚書めいた書き付けにこうある。 「詩は広い世界ではないけれどその空は舌が抜けるほど高い」 あるいは、 「詩は慈悲深い絶壁だ 極限の人間関係だ 人世に不足するのは何度でも愛され直される場所だ」 と言うような断片的な印象的フレーズに、彼の詩への思い入れの深さは十分読み取れるだろう。 この詩集は、ジョイスの作品に擬えて言えば、「若い詩人の肖像」ということになるだろうか。もちろん、単純な伝記的肖像ではない。 「幼年期生地断片」がやはり、まずこの詩集の要諦である。すぐさまぼくは、吉田文憲の「〈うた〉と〈うたて〉」の次のような部分を思い出す。 「故郷=異郷とはまさに『〈うた〉と禁忌』の場所ではないか、と。〈うた〉が禁忌をかかえこんで存在しているとすれば、そこへの遡行を試みようとするわたしの詩、言葉(と仮にいっておくのだが、ほんとうはわたしたちの詩、言葉、といいたのだ)もまたなんらかの禁忌を抱え込んで存在しているのではないか、と。」 〈うた〉が禁忌とふれあうところで存在するという吉田文憲の見解は、彼の「花輪線へ」のみならず、城戸朱理「不来方抄」、稲川方人「われらを生かしめる者はどこか」といった、岸田の前世代の東北を出自とする詩人たちが、そのヴァリエーションを豊かにたどってきた方法でもあった。 しかし、岸田の故郷への眼差しは、よく読むと、親和的=神話的ですらある。禁忌にふれながら、それが前世代の詩人ような愛憎にまみれて、そこに抒情の核を仕掛けるというような心性とは異なったトーンを奏でる。懐かしげで、自らの〈生地〉を確かめるような筆致である。むしろ、冷静に今の詩人の立ち位置との距離を確かめながら書いている。つまり、ここでは、岸田は「どもって」いない。吃音をまぬがれて、なめらかですらある。 もう一つ気づくことは、この「幼年期生地断片」で描かれる風景は、前近代的な、あるいは戦前の面影さえ投影されている風景である。少なくともぼくよりも若い世代に属することを考えれば、ぼくの幼年期の播磨辺境の風景や人事よりもさかのぼるような印象である。(宮本常一が採訪に訪れそうな昭和30年ころの瀬戸内の風景) ぼくはこの部分を素直に、彼の幼年期の生地を浮かび上がらせる試みとして読んだ。ここでぼくは、唐突に大江健三郎を思い出す。四国の「谷間のガキ」を「生地」として強く意識していた大江が、東京の大学で文学に魅せられ、小説を書くときに編み出した、あの独特な小説の文体(スタイル)のことを、どうしても岸田に重ねてしまう。 ともあれ、この「幼年期生地断片」の、それこそ断片や破片が、詩集全体に飛び散って、それらを埋め、また光らせるような、韜晦的、反語的な詩集の風貌を見せている。さらに、彼の詩への倫理的な姿勢、たとえば宮沢賢治のような、ひたむきな詩への求道的思い入れさえも、この詩集の反語的な言葉の使い方の裏側に読み取れる。 #
by loggia52
| 2010-01-14 22:22
| 詩
|
Comments(0)
高畑サロンのサンルーフの部屋
一方、書斎も、机と椅子のある洋風の部屋と、畳を敷いた和室の書斎がある。そこから見える庭は、若草山や三笠山を借景とした純粋な和風庭園である。同じ屋敷のなかで、がらりと違うふたつの文化を自然に受け入れている、その合理的な感覚に、大正や昭和初年代の芸術家の趣味の特徴を見ることができる。 ぼくは志賀直哉のよい読者ではない。幾つかの短編しか読んだことがないが、名品として名高い「城崎にて」も「小僧の神様」も、「赤西蠣太」もいうほどの作品ではないと思う。しかし、この旧居を見ていると、大正から昭和初年のころの小説家の、西欧趣味と日本の伝統的文化とのほどよいバランス感覚には感心させられる。志賀直哉が高畑に住んでいたのは、昭和4年から13年までだから、堀辰雄の奈良ホテル滞在の時期とは重ならないが、堀自身も、奈良を愛し、同時に信州追分や軽井沢を愛し、西欧文学を自らの創作のベースにした。この西欧と日本の文化をいかに自分のなかでバランスをとり、創作にいかしていくのかというのは、この二人のみならず、戦前の作家、芸術家の避けて通れない道筋だった。 #
by loggia52
| 2010-01-11 21:28
| 奈良
|
Comments(0)
高円の野辺の秋萩いたずらに咲きか散るらむ見る人なくに(「万葉集」巻1─231) そのそばにこの時節に咲く桜の花をみつけた。「こふくざくら」というのだそうだ。コンペイトウのような愛らしい花。ここも、観光客はだれもいなかった。 #
by loggia52
| 2010-01-09 23:27
| 奈良
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||