カテゴリ
全体 Loggia/ロッジア 『石目』について ぼくの本 詩集未収録作品集 詩 歌・句 書物 森・虫 水辺 field/播磨 野鳥 日録 音楽 美術 石の遺物 奈良 琵琶湖・近江 京都 その他の旅の記録 湯川書房 プラハ 切抜帖 その他 カナリス 言葉の森へ そばに置いておきたい本 未分類 以前の記事
2023年 11月 2023年 10月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
興福寺五重塔
昨年ブームとなった阿修羅像の前もひっそりしている。時折、二,、三人のグループが立ち止まる程度。ざっと、八部衆が居並ぶ。元はインドの神々で、仏教を保護する役割を与えられた八部衆だが、姿は異教神のまま。阿修羅をのぞいて戦闘姿である。 阿修羅像も魅力的だが、他の像もなかなかおもしろい。例えば「迦楼羅(かるら)像」は頭が鳥、身体が人間。横を向いてスカーフを巻いている。インドの巨鳥で、龍を常食にするとある。 乾漆像で、みんなとても軽いらしい。阿修羅像は身長153センチ、体重は14.8㎏(台座の重さは含まない)。 阿修羅の他にも、少年もしくは幼年の面影の色濃い像が幾体かあるが、いずれも日本もしくはそれにつながる大陸風の顔立ち、とくに阿修羅像などは、モデルとなった少年の存在を彷彿とさせる。 現代の感覚から言えば、異教の神という印象からはほど遠いが、この未成熟の危うさと、そこに秘められた異教的なパワーがどうして結びつくのか、とても興味を覚える。 #
by loggia52
| 2010-01-03 10:07
| 奈良
|
Comments(0)
この日(昨年末ごろ)は久々の朝霧の濃い日。口惜しいことに寝坊をして、散歩道はすでに霧が晴れて、太陽が弱いながらもあらわに赤く燃えはじめていた。 これは朝日の映像。 画面下の森は、陪塚(主墳の周辺に点在する小さな古墳の一つ)。 #
by loggia52
| 2010-01-02 11:43
| 日録
|
Comments(0)
さて、キリスト教の音楽を聴きながら、1300年前の南都仏教華厳宗大本山の東大寺大仏殿について書く。 大仏殿は久々に訪れた。ごらんのとおり人はまばら。 鎌倉時代に再建(1195年)されたが、戦国時代に焼失(1567年)。今のは江戸時代(1709年)に再々建されたもの。俊乗房重源らの勧進による鎌倉期の大仏殿は、今よりも横幅が左右18mずつ広かったようだ。 鎌倉期の再建当時のままなのが南大門。とてもシンプルで、屋根裏まで見通せるので、おびただしい数の横木が柱を支えているのがわかる。それにしても、この巨大な門が、戦国時代の戦乱で焼けなかったのは奇跡にちかい。この南大門と隣町にある小野市の浄土寺浄土堂が、天竺様(大仏様)の遺構として名高いことは前にここで書いた。 この威容の大仏を見上げながら、いつも物足りない思いをしていたのだが、この時もなにか心は充たされなかった。ただ図体が大きいだけが取り柄の仏像ではないかと。それが、今、ヘンデルの大見得を切った音楽をきいていて、はたと気づいた。音楽。そう、物足りないのは音楽なのだ。この巨大な大仏殿をホールにして、人々が群れ集って、経を誦んずれば、ただなならぬ時空が現出するのではないかという妄想。この大仏は、個人が拝むものではない。そもそも「個」というものは考慮の外にあった時代だから当然だが、この巨大な像は、劇場的空間と時間のためにある。大勢の僧や貴族やもろもろのやからが繰り出す読経の声とハーモニーによって息づく仏像であり、建物なのではないだろうか。 この鎌倉期の東大寺再建の勧進で思い出したが、あの西行は晩年に重源の依頼をうけて、陸奥にまで旅をしている。言うまでもなく砂金で潤う奥州藤原氏に勧進を行うためだ。その途中に鎌倉で源頼朝に面会したことも有名な話。奥州藤原氏への勧進について、頼朝に一言ことわりを入れておく必要があったのだろう。 #
by loggia52
| 2010-01-01 02:09
| 奈良
|
Comments(1)
ここの四天王像を見るだけで、今回の奈良旅行は十分成果があった。「広目天像」に見惚れた。 如来や菩薩や観音が、仏性の普遍を保つために、とりわけ顔の表現に、中性的であいまいな表情と模糊とした印象を与えることに腐心したことは理解できる。そのもっとも成功した例が法華堂の日光月光像であることにはだれも異論はあるまい。 観音や如来や菩薩は、近代的な美術美学をあてはめてみると、どこか不満を払拭できない部分をもっていることは確かである。つまり、人間ではないのだから、近代美学思想のみをあてはめること自体に無理がある。ここに宗教と美術の投げる補助線の違いがあらわになる。 それに較べると、阿修羅に特徴的なように、異教から転じて仏教を信仰し、観音や如来を守る四天王や十二神将などは、彫刻的にははるかにおもしろい。人間的な表現としても非常に迫真的なリアリティをもっている。この広目天像などは、すでに近代彫刻すら越えているように見える。さらに人間の内面的な緊張感をかもしていることは、誰も否定することはできないだろう。 ここで、もう一度堀辰雄に登場してもらおう。 「僕は一人きりいつまでも広目天の像のまえを立ち去らずに、そのまゆねをよせて何物かを凝視してゐる貌を見上げてゐた。なにしろ、いい貌だ、温かでゐて烈しい。…… 『さうだ、これはきつと誰か天平時代の一流人物の貌をそつくりそのまま模してあるにちがひない。さうでなくては、こんなに人格的に出来あがるはずはない。……』さうおもひながら、こんな立派な貌に似つかわしい天平びとは誰だらうかなあと想像してみたりしてゐた。」 堀辰雄「大和路・信濃路」より この広目天のモデルが天平時代の一流の人物ではないかという堀辰雄の見解はうなずけるが、既にそんな推理をほどこした時代小説があるのではないかと思うのだが、だれかご存じの方はお教え願いたい。 そんなことを思って歩いていると、奈良ホテルのそばや、高畑あたりのあちこちに「楝」の実のなっているのを見つけた 妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに (「万葉集」798) #
by loggia52
| 2009-12-31 00:07
| 奈良
|
Comments(0)
ぶらぶらと歩いていると、まだ見事な角を持つ雄鹿を見つけた。秋の角切りをまぬがれたのだろう。 #
by loggia52
| 2009-12-30 11:28
| 奈良
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||