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![]() 7月3日、名古屋で開催された中日詩祭に招かれて詩の話をした。 まず①阪神淡路大震災と詩について。安水稔和さんの『生きているということ』と季村敏夫さんの『日々の、すみか』を取り上げて、詩と《記憶》、そして詩の《遅れ》について話したあと、②震災がぼくの詩に突きつけた問いかけについて、『翅の伝記』を書くにいたる経過の話。とりわけ西郷信綱の『古代人と夢』の中にある《心》と《魂》と《言葉》の関係に目を開かれたこと。さらに③ぼくの詩の方法について、『石目』と『名井島』をとりあげて話を進めた。④《詩の身体》については話ができなかったが、詩人の身体から《詩の身体》へという方向性は話せたと思う。「私が言葉を書き付けている」ところからは詩は生まれないこと。むしろ「言葉が、私の身体を詩の身体へとすり替えていくところに詩は生まれる」とでも言うような話。 ![]() 以上が話の概要。以下は次の話へとつながるのだが、「なぜ、詩はそのような手続きを踏まないといけないのか。それはまだはっきりとはいえないが、詩が、忘れてはならない、もっとも秘めておかねばならぬ《記憶》について語るためのものだからだ、というところまで考えている。
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by loggia52
| 2022-07-07 22:35
| 詩
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![]() 既刊詩集の販売もしてもらえそうなので、『胚種譚』(湯川書房1983年)、 お知らせまで。
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by loggia52
| 2022-06-15 23:46
| 詩
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![]() 中原中也が、みずからの歌(詩)を見いだしていくさまを、実に臨場感豊かに話をなさるのだが、くわえて呼び出される資料がいちいち興味深く、説得力があるからたまらない。富永太郎のランボーの影響から始まり、岩野泡鳴の翻訳語の語彙や詩論の発想に刺激を受けながら、「ゆたりゆたり」という言葉に象徴される中也の「歌」に迫っていく。 「詩とは、何等かの形式のリズムによる、詩心(或ひは歌心と云つてもよい)の容器である。では、短歌、俳句とはどう違ふかと云ふに、その最も大事だと思はれる点は、短歌・俳句よりも、度合的にではあるが、繰返し、あの折句だの畳句だのと呼ばれるものの容れられる余地が、殆どと云つても好い程に詩の方に存してゐる。繰返し、旋回、謂はば回想的傾向を、詩はもともと大いに要求してゐる。(中略)これを一先づ「ゆたりゆたり」」と呼ぶことにして、」(中也『詩と其の伝統』) 佐佐木幹郎氏の『中原中也――沈黙の音楽』(岩波新書)から、確かめの意味で引用したが、ついでにその引用のあとに、氏は「その詩のリズムを「ゆたりゆたり」という言葉で表しているが、これは身体的な反復運動のリズムのことである」と補足している。 さらに講演は、「曇天」を読みながら、その歌や声の「反復運動」が、実際に響いているそれではなく「無音(沈黙)」であることが重要だと指摘される。 その過程で挿入的に言及される、岩野泡鳴の翻訳における語彙についての指摘は、実に興味深いもの。「泡鳴の翻訳語彙がいかに同時代人に影響を与えたか。このことは、近代日本の翻訳言語が日本の詩歌にもたらした重要な側面として捉えておくべきだろう。翻訳言語によって、日本の詩語は豊富になり、詩論も活発になった。日本の近代詩は翻訳詩を中心に発展してきた」という指摘である。
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by loggia52
| 2022-05-17 14:05
| 詩
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![]() ![]() 京都新聞の季節のエッセイの第11回。5月2日付朝刊に「十一世紀の最長像」と題したエッセイを寄稿。 今、京都国立博物館で、特別展『最澄と天台宗のすべて』という展覧会が開かれている。言うまでも無く、比叡山延暦寺のお膝元の京都での開催ゆえに、力が入っている。ここ数年来、思えば、奈良・柳生への道ぞいにある円成寺の運慶作〈大日如来〉を見たとき以来、仏像の世界に引き込まれ、仏教、とりわけ密教や、平安の終わりから鎌倉にかけての浄土思想についてあれこれ思いを巡らすようになった。特に、本地垂迹に見られる古来の山岳信仰と密教とのかかわりなどを調べていると、仏像表現の変遷が実に面白く思えてくる。 この特別展では、最澄ゆかりの薬師如来がいくつか見ることができるが、その印象が、さきほどの最も古い最澄像に重なることに思わず心震えた。仏像という、人を超えた存在でありながら、人の面影を色濃く残した造型の、それぞれの時代の解釈に、仏師たちの表現がはっきりと現れる、その明快な様式(スタイル)の秩序に、その時代の人々の信仰の深さが強く作用していることに改めて思い知らされた。
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by loggia52
| 2022-05-08 13:20
| 美術
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![]() ![]() その間に、選考委員の変遷もあり、創設された1990年の第一回は、伊藤信吉、小野十三郎、上林猷夫、杉山平一、永瀬清子の各氏。さらに、安水稔和、鈴木漠、伊勢田四郎、福井久子、松尾茂夫さんらへと引き継がれ、前回までは、たかとう匡子さんとぼくの2名になっていた。 喜ばしいことに今回は、さらに季村敏夫氏を選考委員に迎えることになった。いっそう多角的な選考ができるようになる。 季村さんは、先だって『1920年代モダニズム詩集』(思潮社)を上梓なさったばかり。詩史には記録されることのなかった大正から昭和へと続く時代の詩人たちの詩のアンソロジーだ。また、『日々の、すみか』(書肆山田)や、『ノミトビヒヨシマルの独言』(書肆山田・第29回現代詩花椿賞受賞)など、他の追随を許さない詩的言語を紡いでこられ詩人である。 ぜひとも多くの詩集が寄せられること願っています。
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by loggia52
| 2022-04-21 00:38
| 詩
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